はるか昔、房州安房国(ぼうしゅうあわのくに)。
風光明媚な海辺の一角に栄えた小さな漁師町がありました。魚の行商が構える「蔵」が無数に点在していたことから、この町はいつの頃からか「千倉」と呼ばれるようになりました。
かつて千倉の町は、房洲路を旅する人たちが体を休める宿場町として栄えていました。
当時は関東屈指の花街としても知られており、千倉館周辺にもかつては数々の楼閣が立ち並んでいました。千倉館の前身は、宿のすぐそばを流れる川尻川から名前をとった「川尻館」。宿場町の中心に建ち、地元の漁師や旅の行商人などで日々賑わっていたそうです。現在の建物の基本部分が造られたのは、昭和15年。それを機に現在の屋号「千倉館」へと名を改めました。戦時中は海軍の施設として使用されるなど時代の潮流にもまれながら、千葉県最古の出湯と美味しい海の幸が楽しめる宿として多くの文豪、文化人の皆様に愛され、今日に至っています。
日本旅館の伝統性とモダンな空間が絶妙なバランスで融合した千倉館。ロビーラウンジや露天風呂、そしてゲストルームの一部を、日本を代表するインテリアデザイナーである内田繁氏に手掛けていただきました。千倉の地をこよなく愛してくれた氏のこだわりが館内のそこかしこに今も息づいております。
千倉ファンという人がいるなら、きっと私もその一人である。
青く広がった海と爽やかにつづく海岸線は、どこか懐かしくそして清々しい。そんな千倉に魅了され、足しげく通うようになったのはいつからだろう。そこにはいつも千倉館があった。地元の新鮮な魚介類をふんだんに味わえる由緒ある旅館である。
かつて、そんな愛着ある千倉館のロビーと網焼きレストランをデザインした。日本の空間の良さと現代人の感覚を合せた空間を意図した。そして今回デザインした客室と露天風呂は、若い世代でも寛いでくれるようすっきりした和洋の調和した空間。灯りが柔らかい陰影を落着いた雰囲気をつくるようイメージした。たくさんの方に愛される場所になってほしいと願っている。
日本を代表するデザイナーとして商・住空間のデザインにとどまらず、家具、工業デザインから地域開発に至る。
幅広い活動を国内外で展開。毎日デザイン賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、旭日小綬章など受賞歴多数。代表作に、山本耀司のブティック、神戸ファッション美術館、茶室「受庵・想庵・行庵」、クレストタワー一連の内部空間、門司港ホテル、オリエンタルホテル広島、ザ・ゲートホテル雷門 他。著書に『インテリアと日本人』(晶文社)『普通のデザイン』(工作舎)『戦後日本デザイン史』(みすず書房)など。